VM Decals

日本では、934RSRについて、現役だったころからラジコンを初めとして模型化されたため、すでに知り尽くされているように感じられるかもしれません。しかし、活躍の場がドイツ、アメリカ、ルマン二十四時間と海外に限られていたため、このマシンがどういうレースに出場し、実績を残していたのか、実は記述されることはありませんでした。最近発売されたキットの解説文は疑問点が多く、出来るだけ客観的にまとめてみたいと思います。

ポルシェ934RSRは、デビューの1976年、ヨーロッパGT選手権、そしてアメリカのTrans-Amでチャンピオンを獲得しました。ドイツの代表的国内シリーズであったDRM(Deutsche Rennsport Meisterschaft) では総合三位で、詳細は後述しますが、総合優勝という記述は誤りです。また「ドイツスポーツカー選手権」という和訳は、グループ4とグループ2のツーリングカーから始まった歴史を考えると、これは「ドイツモータースポーツ選手権」と訳されるべきだと思います。この他、世界メイクス選手権とルマン24時間にも参加しました。当時の記録を見てみると、毎週のようにレースが開催され、世界を股に活躍していたように捉えがちですが、実態は、第一線で活躍出来たのは1976年のみ、それもマニファクチャーとして戦う相手がいない、寂しいものだったのです。

新しいCSIレギュレーション初年の1976年、世界選手権は、量産型GTカーに大幅な改造を加えることを許されたグループ5で争われる事となりました。そして、それまでグループ4によるツーリングカーレースに積極的に参加していたBMW、フォード、ポルシェの対応は異なりました。BMWは3.0CSLを武器にグループ5にほぼ移行し、フォードはグループ5に当初参加しなかったばかりか、カプリ・グループ4のサポートも止め、両社はグループ4で競われるDRMのディビジョン1から撤退してしまいます。ツーリングカーレースに残ったのは、グループ5に加えて、新たにグループ4の公認を取得するために934RSRを新開発したポルシェのみ、DRMのディビジョン1とヨーロッパGT選手権での唯一の存在となってしまいました。

そして、ポルシェは934RSRの価格を戦略的に低く設定したため、有力なプライベートチームは911 Carrera RSRからすべてスイッチし、934RSRの独占状態が生まれることになります。事実、上記選手権のエントリーシートを見てみると、常に参加していたのはポルシェ934RSRを走らせている数チームのみ、例えば、ヨーロッパGT選手権第一戦のニュルブルクリンク300Kmにエントリーしたのはわずか6台、すべて934RSRだったのです。

一方、ポルシェの重要な市場であるアメリカでは、IMSAが、ポルシェのCam-Amでの圧倒的な勝利が再現される事を恐れ、過給器付きエンジンを禁止するという形で、934RSRを閉め出しました。これに怒ったポルシェは、IMSAでの911 Carrera RSRのサポートを止め、IMSAと対抗するTrans-Amに参加する有力チームに934RSRに委ねました。しかし、このTrans-Amというシリーズも既に寂れており、アメリカのビック3にAMCを加えた四社がしのぎを削り、ダットサン510やアルファロメオが活躍した石油ショック以前の全盛期は過去の話となっていました。76年には、CSIのグループ4とグループ5を受け入れるカテゴリー2を新設し、ここでもワークスのサポートを受けた、934RSRの独壇場となってしまいました。

(2014/03/30 校正)

(Part 2に続く)